2019上課題 葉山提案

区分      過去曲
アーティスト名 Ivan Lins
曲名   Velas Içadas
中学生の頃に聴いた「愛のコリーダ」をもう一度聞きたいと思い、クインシージョーンズのCDを買ったところそれは僕の知っている愛のコリーダとは全く違うバージョンであり、それはもう激怒したものです。インターネットがない頃、そして試聴する術もない時代にはこうした事はよくあったのですが、副産物としてそのアルバムに収録されていたVelasという曲にはとても心惹かれました。今は亡きハーモニカおじさん=トゥーツ・シールマンスによるメロウな雰囲気のこの曲は程なくして僕のお気に入りのひとつとなったのです。

有名になった楽曲の場合には後年別人がカバーするケースが多々ありますが、いちリスナーにとっては初めて聴いたバージョンこそがその曲の正しいバージョンになってしまう事が多く、僕で言えばチゴイネルワイゼンやトゥナイトやフェリシダージなど、初めて聴いたバージョンを探す事が困難を極める場合(当時のメディアは8トラックだったりします)現代になりオリジナルのバージョンを聴いてさえもその楽曲が持つ推進力等が微妙に異なったりしていて「何か違うなぁ」という感じになってしまう事も。

しかし逆の場合も存在します。例えば中央フリーウェイは僕が初めて聴いたバージョンは庄野真夜 Verでしたし、Don't You Worry 'Bout a Thingを初めて聴いたのはIncognitot Verでした。でもオリジナルであるユーミン ver、スティービーワンダー verを聴くとすぐにそちらの方が好きになりました。これはカバー版がオリジナルを忠実にカバーしているのではなく、コードを簡素化してしまっていて多少なりともニセモノ感が顔を出しているからだと思われます。また前途の「チゴイネルワイゼンやトゥナイトやフェリシダージ」のケースはカバー曲の方がオリジナルを超えた複雑なコードワークを使用していたという事なのでしょう。

さて、時代は流れパソコン+インターネットの破壊的イノベーションにより自分好みの曲や体系がより簡単に可視化出来るようになって私ももれなく只でその恩恵を受けまくっている訳ですがVelasもオリジナルは何とIvan Linsが作ったんだなと知りました。
Ivan Lins ver、トゥーツ・シールマンス ver、どちらが堀口さんにとって心地よく聞こえるのかも興味がありますが、構造的にも日本のヒット曲シーンには絶対に出現してこないであろうコード進行が散りばめられており、これっぽい曲を作れと言われても難易度ウルトラCになると思われそれはもう相当勉強になるのではないでしょうか。